「嫌われる勇気」 ~でもやっぱり嫌われたくないから(^_-) 試してみよう♪♪ 「素直になる勇気」~
みなさん、こんにちは(*^_^*)
いつも、読んでくださってありがとうございます。
最近までやってましたね。テレビで「嫌われる勇気」
はじめは、どうなの~と思っていましたが、後半なかなか面白かったです。
原作?参考?になっている書籍の「嫌われる勇気」は、もちろん読んでます。
この本に関しては、子供たちが先に読んでいて、後追いしましたが。
はい。やっぱり、ベストセラーになるだけあって、読み応えがあったし、面白かったです。
大学時代に、心理学にはまり?フロイトやユング、交流分析などの本を読んだりセミナーに参加したりなど、それなりに、多少の知識は持ってるつもりでしたが、アドラー心理学に関しては、全く知りませんでした(-_-;)
本を読み進めているうちに、これは私のことを現しているの?と思うぐらい納得することばかりで、ずっと、手元に置いておきたい1冊の1つです。
一時、家族の中で、「それは、お母さん(私)の課題じゃないでしょ」などと、アドラー用語が連発される事態もおきていました(笑)
私が特に衝撃をうけたのは
トラウマはない!
えっ!そんなことないでしょ。トラウマ、現にあるし!
なんて反抗しながら読み進めていくのは、楽しくもありました。
今は、すっかり、アドラー心理学が好きで、続編?の「幸せになる勇気」もそのうち読みたいと思っています。
なので、アドラー心理学は大肯定の、大好きです♡
なのに、なぜこんなふざけた
「素直になる勇気」
なんてタイトルをつけたかというと、、、。
あくまでこれは、遊びです。ふと、思い付いちゃったので、書きたくなってしまいました。
ブログを書き始めてからは、毎日、生活している中で、今日は何を書こうかな~?なんて頭の片隅で考えているみたいです。
なんで、そんなことを思いついたのか、そのきっかけは忘れましたが、
問題がある状態って、そこには愛がないからだよね。
みんな、それぞれ一生懸命やっているんだけど、誤解したり誤解されたり、、、。
それで、いろいろもめちゃったりするんじゃないかな?
と、思ったのです。
そうそう、思い出しました。
昨日からやってる、国会中継を少しちら見していたんですが、それを見ていて思ったんです。
みんな、ものごとを自分のいいように解釈するから、自分の言ったこと、行動が誤解を生んでいるなんて、思わないんですよね。
そんなことを考えていたら、自分のことも思ったんです。
若いころは、親にもっとこうしてほしかったとか、私は愛されていないんじゃないか?
って、良く思っていました。
でも、実際自分が親になってみると、毎日の生活の中で、単純に疲れていて、そのストレスを子供に無意識に出していることって、たくさんありました。
じゃあ、私が子供を愛していないかというと、そんなことはなくて、未熟なら未熟なりに、子供のこと愛しています。それが、執着の愛?って言われることもあるかも知れないけど、親は本当に子供のこと愛しています。
でも、受け取る側からしたら、子供だったり、夫は「なんで、こんなに怒っているんだ」って、なるんですよね。
出しているほうは、単純に寝不足が原因だったりして、プリプリしているだけなんですけどね。
小さいトラブルも大きなトラブルも、本当は、はじめはちょっとしたすれ違い、かん違いからだったりするかも、、、。
だとしたら、気付いたときに、誤解をとけばいいんですよね。
「ごめんなさい。今日は、とても疲れていたので、きつく言ってしまって。あなたのこと、嫌いじゃないのよ。」
とか、子供にだったら言えそうですよね。
それを、夫だったり親だったり、、、周りの人にも。
それができないから、苦労するんでしょ!って言われそうですが
嫌われるより、良くない?
嫌われるより、バカになってみない?
嫌われるより、素直になるほうがかわいくない?
って、頭の中にそういうフレーズがでてきました(笑)
だって、本当は嫌われたくないですから(*^_^*)
それこそ、理想論って言われそうですが、思い付いたことを書きたくなってしまいました♪♪
みなさんは、どんな勇気なら出せそうですか?
誤解のないように最後に付け加えさせていただくなら
「嫌われる勇気」は、いい本です。
アドラー心理学も大好きです。
きっと、今の私が1番、嫌われる勇気より、「素直になる勇気」がほしいんだと思います。
今日ものすごい速さで、書けちゃいました(笑)
ありがとうございます。